日本財団 図書館


 

?国際養子縁組ケース事例
[事例1.両親を失った日・比混血児のケース]
A男(2歳)は当時33歳であったフィリピン人の母親と42歳の日本人の父親から生まれた。両親は結婚していたが、事情があって児童福祉施設に預けられて養育されていた。ところが、A男が2歳の時母が死亡、父も行方不明になってしまった。
A男は日本国籍であったが、母親が外国人である事などから、児童相談所からISSJに国際養子縁組斡旋の依頼があった。ISSJではフィリピンの本児の祖母に国際ネットワークを使って問い合わせをしたところ、祖母自身は養育できないが母親と同じ背景の養親と養子縁組をさせたいという希望が伝えられてきた。ISSJでは審議の結果、すでに家庭調査を済ませて待機していた日本国内の外国人夫婦(妻はフィリピン人)にA男の委託を決定した。
A男は養親家庭で大変可愛がられ、順調に適応している。ISSJは家庭訪問や、手紙、電話で養親家庭でのA男の様子を観察し、特別養子縁組の許可を家庭裁判所に申請した。養子縁組後の相談、フォローアップも行う予定である。
[事例2. 日本在住の米・比夫婦に委託されたフィリピン国籍の甥のケース]
B男(13歳)は、フィリピンの農家の長男に生まれたが、両親と妹の家族4人の暮らしは楽ではなかった。たまたま、母方の叔母が米国軍人と結婚していてフィリピンでB男の家族と一緒に住んでいた事があり、B男を実の子のように可愛がっていた。その叔母家族が日本の基地に駐在する事になり、B男を養子として迎えたいと提案した。
ISSJで家庭調査を済ませ、フィリピン政府(DSWD)がB男や家族と会い、養子縁組がB男の将来の為利益になると判断され、叔母家族の家に正式に委託され同居を開始した。幼少の頃から叔母達とは家族同様に接してきたB男なので、思春期を迎える年齢のわりには適応は順調であった。叔母の二人の実子とも仲良く暮らしている。基地の中の学校にも慣れ、友達も増え、アルバイトやスポーツを楽しむおしゃれなティーンエージャーである。
ISSJは、委託後半年間3回家庭訪問しフィリピンの中央当局(ICAB)に適応状況を報告し、養子縁組の最終許可が下りるのを待っている。近く、家庭裁判所に養子縁組許可申立を行う予定である。
[事例3. 日・比夫婦に委託されたフィリピン人の甥のケース]
C男(1歳)はフィリピンで6人目の子どもとして生まれたが、大勢の子どもを抱え家族

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION